平安時代のその昔、現在の浄土松公園のあたりには、芦野の里と言われ中丸長者が美しい娘の舞鳥姫と仲良く暮らしていました、
長者は徳の高い地合いの深い人物でした、浄土ヶ原に豪壮な館を築き、豊かな里として大いに栄えていたそうです。
舞鳥姫は早くより郡山虎丸長者の許嫁として約束され互いに来る日を待っていました。
所が、中丸長者の館が盗賊に占領されてしまいました。姫は、身の危険を感じて浄土松の深い池に身を投じて帰らぬ人となりました。
以来、池は姫の涙と悲しみにより「にごり池」になったと言われています。
逢瀬町観光協会
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